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大阪地方裁判所 昭和37年(わ)1385号 判決

主文

被告人を懲役三月に処する。

但しこの裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用中証人佐々木栄三郎に支給した分の二分の一及び証人萩原寛に支給した分は被告人の負担とする。

本件公訴事実中、被告人が昭和三六年一〇月二五日正午過頃、茨木市役所市議会議員図書室において、同市教育委員会事務局用罫紙を取り上げこれを引き裂いて暴行を加え佐々木栄三郎外四名の職務執行を妨害したとの点については被告人は無罪。

理由

(事件発生に至るまでの経緯)

文部省は、昭和三五年秋頃、全国中学校二、三学年の全生徒を対象とする一せい学力調査を企画し、昭和三六年三月八日付文部省初等中等教育局長、同調査局長連名による「中学校生徒全国一斉学力調査の実施期日について(通知)」と題する書面および同年四月二七日付同連名の「昭和三六年度全国中学校一斉学力調査実施について」と題する書面を、それぞれ実施要綱をつけて各都道府県教育委員会教育長宛に送付し、地方教育行政の組織および運営に関する法律(以下地教行法と略称する)五四条二項に基づき調査実施要綱による調査およびその結果に対する資料、報告の提出を求めた。右調査実施要綱には、

(一)、調査の趣旨、目的として、(1)文部省および教育委員会においては、教育課程に関する諸施策の樹立および学習指導の改善に役立たせる資料とすること(2)中学校においては自校の学習の到達度を全国的な水準との比較においてみることにより、その長短を知り生徒の学習の指導とその向上に役立たせる資料とすること、(3)文部省および教育委員会においては学習の到達度と教育的諸条件との相関関係を明らかにし、学習の改善に役立つ教育条件を整備する資料とすること、(4)文部省および教育委員会においては、能力がありながら経済的な理由などからその進学が妨げられている生徒、あるいは心身の発達が遅れ平常の学習に不都合を感じている生徒などの数を把握し、育英、特殊教育施設などの拡充、強化に役立てる等今後の教育施策を行うための資料とすること。

(二)、調査の対象は公立、私立および国立中学校の第二学年および第三学年の全国生徒約四四七万人とすること。

(三)、調査する教科は第二学年および第三学年とも国語、社会、数学、理科、英語の五教科とすること。

(四)、調査期日は昭和三六年一〇月二六日(木)とし、全国一せいに同一問題によつて午前九時から午後三時までの間一教科各五〇分で行なうこと。

(五)、調査問題は文部省において問題作成委員会を設けて教科別に作成すること。

(六)、市町村教育委員会は原則として管内の各中学校長を当該学校のテスト責任者に、当該学校の教員をテスト補助員に命ずること

などの各事項が記載されている。

大阪府教育委員会はこれに基づいて昭和三六年五月一七日付の同委員会教育長名で市町村教育委員会教育長宛に「全国中学校一せい学力調査の実施について」と題する書面を前記調査実施要綱を添付して送付し、前同様地教行法五四条二項に基づき調査実施要綱による調査およびその結果に対する資料、報告の提出を求めると共に、同年八月二三日大阪市東区今橋四の七日本生命ビル南館会議室において説明会を開催して具体的実施方法についての指示説明を行った。

茨木市教育委員会(委員長は本田顕了で以下市教委と略称する)においては、右説明会に小木曾教育長、古谷指導主事を出席させてこれを聴取し、同年九月四日管下の中学校長(東、西、養精、清渓、忍頂寺の五中学校の各校長)を茨木市労働会館に集合させて右学力調査の具体的実施方法について前同様の指示説明を行い、その後、同月一四日臨時教育委員会を開いて右学力調査を実施することを議決した。

他方、茨木市には小学校、中学校の教職員をもつて構成する茨木市教職員組合が存したが、昭和三四年頃大阪府三島郡の小、中学校教職員をもつて構成する三島郡教職員組合と合体して、茨木、三島教職員組合(正式な登録団体ではない。以下単に教組という)と称するようになり、当時、執行委員長は大沢勝次郎、副執行委員長は大森竜三、書記長は田主信生であつた。

同年一〇月三日右教組は市教委に対し執行委員長大沢勝次郎名義の要求書と題する書面(昭和三九年押第四七三号の二)を提出した。右要求書の内容は(一)義務教育の充実、教育の機会均等などの実現のため教科書、文具、給食費、修学旅行費等の無償配布、学級規模の適正化と定員増、公立高校の増設等を要求する。(二)一〇月二六日の学力テストについては次のような弊害が考えられるので中止されたい(イ)五科目の一片のテストでは真の学力が把握できないばかりでなく調査教科の偏重やペーパーテストの重視に教育を歪めてゆく危険がある。特に一片のテストの結果が指導要録に記入され一つの評価として利用されるということはこの危険性を更に増大させる。(ロ)教育の機会均等が未だ充分でないときに、国家テストによつてランクがつけられることは現在の不平等を固定化することになる。(ハ)学校間、学級間の競争、差別、対立意識をいたずらにあおり、個人的には立身出世主義の助長をもたらす。(ニ)テストの結果が教員個人の責任にされ教員への締めつけが強化されてゆくおそれがある。(ホ)現状のままではテストが教育諸条件の整備や改善に利用されるという保証がないばかりでなく、ただテストの成績をあげる競争に教育を駆りたててゆくことが予想される。というものである。

これに対し、市教委は臨時教育委員会を開いて協議し同年一〇月一一日午後茨木市労働会館において教組側と第一回の話合いをもつた。市教委側の出席者は本田教育委員長、小木曾教育長、佐々木教育課長、神浦、古谷両指導主事で、教組側の出席者は大沢委員長、大森副委員長、田主書記長、青山書記次長、大阪府教組執行委員渡辺某他組合員約二〇名で、教組側から市教委と教組間の話合いがつくまで学力調査を実施しないで欲しいとの申入れがあり、市教委側はこれに対する態度を保留したまま第二回の期日を一〇月一四日と決めて散会した。

ところで、一〇月一三日茨木市役所内で開かれた文教常任委員会で小木曾教育長は辻議員の質問に対し学力調査はあくまで民主的に話合いによつて行いたい旨答弁し、さらに同日開催された本会議においても被告人(当時、茨木市議会議員)の質問に対し、同様学力調査は民主的平和的に話合いによつて行う旨答弁した。

一〇月一四日、第二回目の話合いが茨木市労働会館で開かれた。出席者は市教委側は前回同様であるが、教組側は前回出席者の他に大阪府教組の原田執行委員が加つて始められた。教組側から学力調査は教育の国家統制の足がかりであるという主張がなされ、これに対する応酬もあり、その他種々話合いが行なわれたが結局、両者間に意見の一致点を見出すことができずに散会した。一〇月一七日に第三回目の話合いが行なわれた。同日これに先立つて茨木地区労働組合連合協議会(以下地区労と略称する)と市教委側との話合いが同日午後一時三〇分頃教育委員会室で行なわれた。地区労側から萩原事務局長、被告人、辻議員らが出席した。そして学力調査を実施するか否かに論議がしぼられた。被告人及び辻はこの話合いの席上、小木曾教育長に声高く学力調査を実施するかしないか回答を迫り、さらに小木曾教育長に万年筆を突きつけて一〇月一三日の文教常任委員会での答弁のとおり書面に記載するよう迫つたので、同教育長は部下の女子職員に命じて筆記させ、「(一)全国中学校学力テストについては一〇月二六日迄茨木市教組と話合いがつかない限り実施しない(二)話合いがつくまでは一切の学力テストの準備はしない」旨の同月一七日付茨木市教育長小木曾正文作成名義の「覚書」と題する書面(同号の三)三通を作成のうえ教組側及び地区労側に手交した。

市教委と教組との第三回目の話合いは同日午後四時過ぎ頃から市教委側は前回同様の出席者で、教組側は大阪府教組員を除いては前回同様の出席者でそれぞれ話合いが始められ、小木曾教育長から学力調査実施については民主的な機関、つまり中学校長、各教科別教員、教育研究所、市教委、教組の人々で組織する機関を作つて協議することを提案したが、教組側はこれを拒否したので、さらに佐々木教育課長が教組側から学力調査を実施するについての具体的条件を明示するようにとの提案をし、教組側もこれを了承して、その具体的条件を明示した書面を同月一九日午後七時までに提出することを約した。しかし、教組側は拡大斗争委員会にはかつて右具体的条件を出すか否か、出すとすれば如何なる内容のものにするかについて協議したが、結論がでなかつたため約束の期限である同月一九日午後七時までに書面を提出することができなかつた。そこで、市教委は教組側の申入れで右書面の提出期限を同月二一日午前九時までとすることを受諾した。しかし右期限にも教組側からの書面の提出がなかつた。その理由は、教組側で学力調査は非常に重要な問題であるので教組の全員集会を開催して決定しようとの意見が大勢を占め、全員集会にはかつて前記書面を提出するか否か討論したが、その全員集会においても結論をみなかつたことによるものである。そこで、教組側はさらに同月二三日午後五時から拡大斗争委員会を開催して結論を出すから同日七時まで待つてもらいたい旨市教委側に申入れたので、市教委側はやむなくこれを了承して右期限の到来を待つた。ところが、右期限に至つても教組側から右書面の提出がなかつたので佐々木課長において教組側に交渉したところ、教組側は目下、拡大斗争委員会で討議を重ねているから結論が出るまで待つてもらいたい旨懇願するので、やむなく市教委側は回答を待つていたところ、同日午後九時頃、教組側大沢執行委員長ら役員及び辻、和久ら革新系市会議員、地区労役員ら約二〇名が市教委事務局にきて書面は作成されていないが、口頭で要求するから教育長に立会うよう手配してくれと要求した。佐々木課長は書面で具体的条件を示すという約旨に反するのではないかと反論し、さらに小木曾教育長は病気のため自宅で療養中であるから出席できない旨伝えたが、教組側はこれに応ぜず、佐々木課長においてやむなく小木曾教育長宅に赴いてその旨同人に伝えたところ、折柄、同所に集つていた池上(委員長代理)、藤井両教育委員、神浦、古谷両指導主事も協議に加わり、結局同日午後一〇時四〇分まで右書面の提出を待つことに決し、その旨古谷指導主事において、「要求の申入れにに対する回答」と題し「(一)茨木市教組からの要求は文書によられたい(二)午後一〇時四〇分までに要求書を提出されたい(三)時間経過後提出なきときは要求を放棄されたものとみなす」という内容の書面(同号の九)を作成して、佐々木課長がこれを教組側役員らのいる市教委事務局に持参し、大沢委員長に手交した。しかし、同人はこれを一読後受領を拒否した。その後、教組側から短時間では書面を作成できないからなお時間的余裕が欲しい旨の申入れがあり、佐々木課長において小木曾教育長宅に電話してその旨伝えたところ、同日午後一〇時五〇分まで期限を猶予するとの指示を受けたのでこれを教組側に伝えた、しかし、右時刻に至つても書面の提出がなく、佐々木課長が帰りかけようとしたところ、右期限を一、二分経過して教組側から鉛筆書きの要求書が提出されるに至つた。これに対し佐々木課長は期限が経過しているから受領できない旨伝えたため教組側組合員との間で激しいやりとりがあつたが、結局これを受領しないで、小木曾教育長宅に引揚げた。これより先、同日午後七時頃、右小木曾教育長宅で茨木市臨時教育委員会が開催され、小木曾教育長から同月一七日教組らに手交した覚書は強迫を受け、不本意ながら作成したものである旨釈明があり、全員一致で右覚書を破棄する旨決議した。

翌二四日朝佐々木課長は、小木曾教育長宅を訪れ、同所で同人から茨木市教委事務局では学力調査実施の準備作業を到底行える状態ではないから大阪府三島郡三島町所在の三島地方事務所の学務課へ赴いて同所で右学力調査実施の準備作業をするようにとの指示を受けたので、神浦、古谷両指導主事と共に同所に赴き、同所の学務課指導室及び所長室で各中学校長及びクラス担任の教員をそれぞれ学力調査実施の責任者及び補助員とする旨の辞令書の作成等の作業に従事していたところ、同日午後茨木市長田村英から直ちに市長室へ来るようにとの電話連絡を受けたが、教育委員会の職員だから任命権者である教育長の命令には応ずるが、市長の命令には応ずることができないと答えて出頭を拒否した。その後、佐々木課長らは前記作業を終えて小木曾教育長宅に赴いた。同教育長宅には高血圧のため自宅で療養していた本田教育委員長及び外出中で連絡のつかなかつた谷本委員を除くその余の教育委員が集まり協議していたところ、同日午後七時頃同所へ田村市長及び奥村市議会議長がきて、同人らから市教委と教組との間の話合いの斡旋をするからこれに応じてもらいたい旨の話があり、市教委側はこれを了承して翌二五日の教組側との話合いに応ずることとなつたが、ただ市教委側は右話合いに応ずる条件として交渉相手を茨木市教組に限定してもらいたい旨申入れ、市長らはこれを了承した。その際、田村市長から明二五日提出される予定の教組側の要求事項を記載した書面(同号の五)を提出したので、市教委側は市長ら帰宅後右要求事項につき協議し、その協議結果は藤井委員が要約して古谷指導主事がこれをメモした。さらに同所で、市教委側は翌二五日の教組との話合いには、本田教育委員長、小木曾教育長の両名は病気であり、谷本教育委員は老令で健康がすぐれないことから、池上、藤井両教育委員に代表して出席してもらうことにし、同人らに学力調査を実施することを前提にして交渉の全権を委任した。

(事件発生当時の状況)

同月二五日、午前九時頃市教委側と教組側の話合いに先立ち、予備交渉が茨木市役所内市長室で行なわれた。市教委側は池上、藤井両教育委員、佐々木課長が出席し、教組側は大沢委員長、大森副委員長、田主書記長及び大阪府教職員組合の岩井執行委員らが出席し、先ず田村市長から昨夜市教委側から申出のあつた交渉相手を茨木市教組に限定するとの話があり、教組側は一旦拒否したものの結局これに応じ、次いで、教組側から同月二三日教組側が要求書を提出した際、佐々木課長が、午後一〇時五〇分を僅か一、二分経過したに過ぎないのに拘らず、教組側の要求書を受領しなかつたことにつき陳謝せよと申入れこれに対し市教委側は反論したが、多少のやりとりの後、結局市教委側が陳謝することで了承し、さらに教育委員が五人もいるのに二人しか出席していないことに対し、教組側において異議を申入れたが、市教委側が、他三人はいずれも病気である旨答えたので、これを了承した。市教委側と教組側の本交渉は同月二五日午前一〇時二〇分頃から市会委員会室(別名議員控室とも呼ぶ)で開催され、市教委側は池上(教育委員長代理)、藤井両教育委員、佐々木課長、神浦、古谷両指導主事の五名、教組側は大沢執行委員長ら組合員約三〇名が出席し、冒頭、藤井委員から佐々木課長が約束の期限を僅か一、二分経過したに過ぎないのに教組からの要求書の受領を拒否したことは遺憾であつた旨の表明をし、次いで大沢執行委員長から教組側の要求事項を記載した「要求書」と題する書面(同号の四、同号の五と内容は同じで押印されている点のみ異る)を藤井委員に手交した。右要求書の内容は「(一)今回の学力調査は教育上種々の歪や弊害をもたらしてくることも考えられるので、それらのことが起らぬ様、教育委員会は教職員組合と十分な話合いを行ない最大限の努力を行う。(二)学力調査の調査用紙の学校名、学級名、氏名は記入しないものとする。当然指導要録には結果を記入しない。(三)学力調査の結果は教育諸条件の改善にのみ利用することとし、結果の利用については別記代表よりなる委員会を設置してそこで検討を行う。(了解事項)委員会の構成は教委(二名)民主的に選出された教科代表(五名)校長代表(二名)教組代表(三名)研究所代表(一名)とする。(四)学力調査の監督、採点、集計にともなう労務提供については教組と事前交渉する。」というものである。右要求書を教組側から市教委側に手交して後、教組側の大沢執行委員長から教育委員が二人しか出席していないことにつき質疑がありさらにこれに関連して教組側からこの話合いの席で決定した事項は有効か無効かとの質問がなされ、これに対し、市教委側は当日の予備交渉の際説明したと同様の趣旨の発言をし、さらに二人の教育委員は代表権を委任されているからこの話合いの席で決定した事項は有効である旨回答した。教組側は右回答を了承したので、市教委側は先の要求書に対する回答を協議するため休憩を求め、隣接する議員図書室に五名全員赴き協議したが、教組側の要求事項は前日田村市長から知らされていて、それに基づく回答案を予め協議決定していたので、特に協議することもなく、五分位で委員会室に戻り、藤井委員から要求書に対する回答を口頭が告知した。その回答内容の要旨は「第一項についてはこれを了承する。第二項は学校名の記入の必要はないが、学級名、氏名は記入することとし、指導要録にはその旨記入する。第三項は了承できない。第四項は概ね了承する。」というものであつた。右回答を教組側が納得しなかつたため、市教委側は第二回目の休憩を求めて同様議員図書室へ赴いて協議し、第二項については番号のみ記入する。指導要録の記入は学校長に一任する旨決定し、再び委員会室へ戻つて教組側にその了解を求めた。

その頃、被告人は、自宅で地区労の萩原事務局長から右委員会室での市教委と教組との話合いが難航している旨の連絡受け、直ちに右市役所内委員室に赴いて話合いに加わり、藤井委員に対し非常に興奮した語調で「おい万両のおつさん、(藤井委員は清酒の販売業者で、その清酒の銘柄を万両という)お前はいつも教育委員会には顔出さんでおつて、こういう交渉の場に大きな顔をして出て来ているではないか。」「俺は学力テストは絶対反対だ。」「教育委員が五人もいるの二人にしか出ていなくて、こんなので交渉になるのか」などと面罵し、藤井委員の退場要求にも応じなかつた。市教委側は、同日午前一一時三〇分頃、第三回目の休憩を求めて議員図書室に引揚げて教組側の要求事項につき協議を重ね、その結果を要約し、藤井委員の口授により佐々木課長が教育委員会事務局用罫紙に万年筆で四行ないし五行記入し、同万年筆をテーブル上に置いたとき、その場に被告人が入つてきて、その直後、後記無罪理由(公訴事実第一の一)において認定したような事件が発生したのである。

(罪となるべき事実)

被告人は

第一、昭和三六年一〇月二五日午後二時過頃、大阪府茨木市下中条三八一番の一所在茨木市役所市議会議長室において、同市教育委員会教育課長佐々木栄三郎に対し、いきなり同人の右足脛部及び左足脹脛部を各一回足蹴りし、もつて暴行を加え

第二、同年一一月一一日午前一一時頃、同市役所市長室で開催された同市議会文教常任委員協議会に出席し、その開始をまつていた同市教育委員会教育長職務代理者兼教育課長佐々木栄三郎に対し、同人が同年一〇月二六日実施された全国中学校一せい学力調査の集計事務に関し、教科別得点と個人的教科に関する生徒個票(いわゆるC票)の提出について同市立養精中学校外四中学校の各校長に対して発した職務命令を取消させるため同室内に赴き、佐々木栄三郎に対し右取消要求に及んだ際、同人の左足脛部を一回足蹴りにし、もつて右協議会における同人の職務の執行を妨害したものである。

(証拠の標目)《略》

(起訴状記載公訴事実第一の一、二につき公務執行妨害罪を認定しなかつた理由)

一公訴事実の要旨

本件公訴事実第一の一、二の要旨は「被告人は昭和三六年一〇月二六日実施された全国中学校一せい学力調査に際し、大阪府茨木市教育委員会が所轄中学校における実施方法等についてその円滑な実施を期するため、同月二五日午前一〇時二〇分頃より茨木市役所市議会議員控室(通称委員会室)において茨木三島教職員組合の要望事項に関し、同教組員と折衝するに当り一、同日正午過頃同市役所市議会議員図書室において右組合の要望事項に対する答弁を協議中の同市教育委員会教育課長佐々木栄三郎及び同市教育委員池上清一外三名の協議を妨害する目的で右佐々木栄三郎が右答弁の要旨を記載していた同市教育委員会事務局用罫紙を取り上げ、之を引き裂いて暴行を加え、もつて同委員会の教育に係る調査たる一せい学力調査に関する事務を遂行中の佐々栄三郎外四名の職務執行を妨害し、二、同日午後二時過頃前記議員控室における折衝が紛糾したので同市議会議長室に退去し、同市長田村英及び同市議会議長奥村喜太郎の斡旋により、右教組員との折衝を円滑にすすめるため同市長らと協議を行なおうとしていた前記教育課長佐々木栄三郎外四名に対し、その協議を妨害する目的で同室に置かれてあつた台付灰皿一個を床に投げつけ、椅子を蹴り倒す等して如何なる危害を加えるかも知れない態度を示し、さらに右佐々木の右足脛及び左足脛の外側を各一回足蹴りする等の暴行脅迫を加え、もつて教育委員会の学力調査に関する事務を遂行中の佐々木栄三郎外四名の職務執行を妨害した」というのである。

二本件学力調査の適法性について

(一)、本件学力調査の主体及び性格

前掲各証拠を総合すると、本件学力調査は文部省が、(1)教育課程に関する諸施策の樹立、学習指導の改善(2)学習の到達度の測定(3)教育条件の整備(4)育英、特殊教育施設の拡充、強化などを目的として推進したものであり、その調査する教科、実施期日、時間割、調査問題の作成、調査結果の集計整理など細目にわたつて企画、立案し、これに基づき各都道府県教育委員会に地教行法五四条二項により調査及びその結果の報告を求め、同委員会がさらに各市町村教育委員会に同条項により同様調査、報告を求めたものである。そして、各都道府県教育委員会(本件では大阪府教委)及び各市町村教育委員会(本件では茨木市教委)は、右文部省の企画立案した具体的実施要綱のとおり、これに何ら変更を加えることもなく、その指示命令に従つて、右学力調査の実施を義務づけられ、当該調査事務手続を執行したものであることが認められ、このことは証人佐々木栄三郎の証言(第六回公判)、古谷隆起の検察官に対する昭和三七年一月五日付供述調書により認められる、茨木市教委では、昭和三六年九月一四日開催の臨時教育委員会での本件学力調査を実施する旨の決議が、本来の議決事項ではなく単に確認事項に過ぎないものとの認識にたつていた事実に徴しても、これを推認しうるところである。

従って、叙上の事実から判断すれば、本件学力調査は、一応、手続面では各市町村教育委員会が調査を実施し、文部省がその結果についての資料の提出と報告を求めるという形式をとつているとはいえ、その実質は、文部省が主体となつて各教育委員会に指揮命令して右学力調査を実施させたものといわねばならない。

次に、本件学力調査の性格につき考察する。昭和三六年度全国中学校一せい学力調査実施要綱写、証人奥田真丈に対する尋問調書写、証人今村武俊に対する尋問調書写を総合すると、本件学力調査は、公立、私立及び国立中学校の第二学年及び第三学年の全国生徒を対象に国語、算数、社会、理科、英語の五教科について全国一せいに行う悉皆調査であること、問題は文部省の告示によつて公示した学習指導要領によつて出題されていること、調査の実施にあたつては当該中学校の教員がそれぞれ立会人となり、テスト用紙には氏名を記載することが要求され、調査結果は生徒指導要録の標準検査記載欄にその換算点を記録するものであることが認められる。

学習指導要領は中学校教員の通常の教科教育に対し重要なる指針又は基準を与えるものであるから、これに基づいて出題されることは正規の教科内容と同質のものであり、さらにテスト用紙に名前を記入することが要求され、生徒指導要録に換算点が記録されることは生徒全般に対する概括的な成績評価にとどまらず、個々の生徒の成績評価を行うことになるのであつて、これは担当の教員が特定の教科について行うテストと質的に何ら異るところはなく、従つて、本件学力調査は、単なる行政調査ではなく、学校教育の内的事項にかかわるものであり、その実体を分析すると、

(Ⅰ) 教育課程の基準設定的性格(前掲学習指導要領に基づき具体的詳細な調査実施要綱を作成し、各教育委員会にその調査と結果の報告を命ずることを前提とし、右学習指導改善のため、一種の教育計画を樹立した点)

(Ⅱ) 具体的教育活動的性格(右調査実施要綱に基づき、前認定のような方法で調査を実施し、個々の生徒の成績を評価するという点)

の二面的性格を具有するものと判断せざるを得ない。

(二) 本件学力調査の手続上の適法性

前認定のように本件学力調査は文部省の初等中等教育局長及び同調査局長が各都道府県教育委員会教育長、各都道府県知事、附属中学校を置く国立大学長宛に地教行法五四条二項に基づく調査及びその結果の報告を求め、これを受けた大阪府教育委員会が同委員会教育長名で各市町村教育委員会教育長に宛て前同様地教行法五四条二項に基づき調査の実施とその結果の報告を求めたものである。

ところで、地教行法五四条一項は、教育行政機関において的確な調査、統計その他の資料に基いて、その所掌する事務の適切かつ合理的な処理に努めなければならない旨規定し、これを受けた同条二項において、文部大臣は地方公共団体の長又は教育委員会に対し、それぞれ都道府県又は市町村の区域内の教育に関する事務に関し、必要な調査、統計その他の資料又は報告の提出を求めることができる旨規定し、文部大臣が適正な諸施策を推進するうえで必要な資料又は報告について提出要求権を定めているが、右各項の「調査」なる文言は「の資料」にかかるものであることは、文理に徴し明らかであるから、同条二項は右提出要求権の対象となる資料として、調査資料、統計資料、その他の資料を列記したものと解すべきであり、さらに文部大臣の自ら実施する調査権とその機関委任事務に関しては同法五三条一項、二項に別段の根拠規定が存することに鑑み、同法五四条二項所定の前掲各資料とは、教育委員会などが自主的に調査収集した資料を指称するものと解されるから、同条項の趣旨は、文部大臣に対し、その所掌事務の適切、合理的な処理に利用するため、単に右の資料の提出および報告を求める権限を付与したにとどまり、その前提として自ら調査を命ずる権限を付与したものではないと解するのが相当である。

従つて、本件学力調査のように、文部省(文部大臣)が、その調査実施要綱を細目にわたつて企画立案し、実質上の主体となつて各教育委員会に対し当該調査を命令してその実施と結果の報告を義務づけるようなことは、地教行法五四条二項を根拠規定としてなしえないものといわねばならないから、その調査命令は同条項の趣旨を逸脱し、手続上違法なものと断ずるほかはない。

(三) 本件学力調査の実体上の適法性

先ず、憲法二六条の教育を受ける権利と教育基本法一〇条の関係及び同法と他の教育関係法規との関係について考察するに、憲法二六条はその第一項で「すべて国民は法律の定めるところによりその能力に応じてひとしく教育を受ける権利を有する」旨規定し、すべての国民が「教育を受ける権利」を有することを明言している。ところで「教育を受ける権利」は、一面において、教育の機会均等という外的条件―学校制度、無償など―の整備を要求しうる権利であると同時に、他面、生存権的基本権としての性格を具有し、同条は同法二五条所定の権利を具体化した規定であつて、同条所定の「文化」は、恒久平和、個人の尊重、思想、良心、信教、学問の自由などの理念を内包するものと解するのが相当である。従つて、右の観点にたつて如何なる「教育を受ける権利」が保障されるべきあるかが決定されなければならない。教育基本法はその前文掲記のように「日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して教育の基本を確立するため」に制定されたものであつて、右憲法の規定を内容的に補完あるいは明確化させ、これにより平和で民主的な真理を基調として宗教的、政治的、行政的に中立な教育を受ける権利の保障などについての基本的な指導原理を明らかにしている。

現行公教育制度の下においては、右のような教育を受ける権利を保障するため、親権者はもとより教育行政機関、教員を含む教育機関はともに最善の努力を払ってその義務を尽すべき責務を負い、その義務を適正に履行するため、他面、親権者には民法八二〇条により子に対する監護及び教育をする権利が付与され、教育行政機関、学校機関、教員などには、それぞれ教育関係法規の定めるところに従い教育に関する権限が付与されているが、これらの権利や権限は、あくまでも被教育者である国民の「教育を受ける権利」の保障を指向し、その範囲内において存する権限であつて全く絶対的固有なものではなく、そこには、憲法、教育関係法規および教育条理などに照し、諸種の制約があることもまた看過できない。(教育行政機関は、のちに説示するように教育活動の独立と自主、中立性を尊重しつつ、前記「教育を受ける権利」を保障するため積極的な諸施策を推進し、教員は、教育活動の独立と自主、中立性が右「教育を受ける権利」に由来することを自覚し、教育者としての主体性を堅持しながら、独断専行することなく、教育行政機関の大局的専門的見地にたつた的確な意見、指導、助言について、その法的拘束力の有無を問わず、謙虚に耳を傾けて自己の創意との調和をはかり、人間形成を目的とする教育実践の場において、被教育者の素質を助長、伸長させる責務のあることは、いまここで多言を要しないところである。

もともと教育は、人格の完成という内面的価値の形成を目的として行なわれるものであつて、その性質上、自ら、他からの強制、干渉を排除して自由な状態に置かれなければその目的を十分達し得ないものであり、このことは教育基本法前文、一条、二条において明規する教育の目的、方針より導き出される当然の帰結であり、特に同法一〇条は「教育は不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。教育行政はこの自覚のもとに教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行なわれなければならない。」と規定している。これは過去における教育の国家統制によつてもたらされた重大な弊害による失敗の反省から、教育の独立と自主中立性、殊に政治的、行政的中立性を明らかにしたものであつて、右は、憲法二六条の「教育を受ける権利」の保障、特に教育の内容や方法などの内的事項の保障にとつて重要な事項である。そして教育基本法一〇条一項にいう「不当な支配」というのは、教育の政治的、行政的中立性を阻害するような一切の干渉をいい、政党その他の政治団体、労働組合、一部父兄のみならず、行政機関による介入支配も当然含むものと解するのが相当である。

従つて、教育行政機関といえども、その公権力の行使は無制限ではなく、教育課程の基準設定、管理に関しても、同条項の趣旨、目的とする教育活動の独立と自主、中立性を阻害しない範囲で、当該権限を行使することが要請されるのである。右条項の趣旨に徴し、同条二項は教育行政につき、右のような目的を達成するため、主として教育の外的条件である教育設備などの充実に努めるべきことを示したものと解すべきである。

しかして、教育基本法は、現行憲法中の教育関係諸条文の精神を敷衍具体化して、教育の目的、理念及び方針を明示し、教育制度の基準を明らかにしこれに関する法令の準則を定めるため制定されたものであるから、法律の形式を備えているに過ぎないとはいえ、他の教育関係法規の解釈に指針を与える意味において、同法規よりも優位にたつものと解するのが相当である。

すでに二の(一)において説示したとおり、本件学力調査には二面的性格があつて、そのうち教育課程の基準設定(教育計画の樹立)としての性格に鑑み、さらに、学校教育法三八条、同法(附則)一〇六条について考察するに、学校教育法三八条は「中学校の教科に関する事項は……監督庁がこれを定める」とし、同法(附則)一〇六条一項で「……三八条……の監督庁は、当分の間、これを文部大臣とする」と規定している。すなわち、右規定は、同法の定める中学校の目的、中学校教育の目標(三五条、三六条)に従い、文部大臣に「教科に関する事項」について行政立法権を付与したものということができる。ところで同法施行規則五三条によれば、中学校の教科は必修教科、選択教科に別れ、必修教科としては国語、社会、数学、理科、音楽などがあり、選択教科としては外国語、農業、工業、商業等があつて、これらはいずれも中学校の教育課程の主要な部分を構成するものであり、文部大臣は、同法三八条の規定を受けた同法施行規則五四条の二によつて中学校の教育課程の基準として文部省告示をもつて学習指導要領を定めている。

しかしながら、現行憲法及び教育基本法一〇条の規定並びに同法の他の教育関係法規に対する優位性や教育の本質に照らして考えると、文部大臣が教育の内的事項である教育課程につき具体的詳細な規定を設けて個々の教員の実施する教育活動に介入してこれを拘束するような行政立法権があると解することは甚だ困難であるから、前記学校教育法三八条の規定をもつて文部大臣に対し教育課程についての全面的行政立法権を付与したものと解することは到底できない。むしろ、同条は義務教育における被教育者側の事情、つまり未成熟のため判断能力、思考能力が成人に比して欠如していることから、同法三六条所定の中学校教育の目標を達成するなめには、ある程度全国的、画一性を保持することが要請され、これを充足するため、文部大臣に教育課程の大綱的な国家基準を定める権限を付与した趣旨に解するのが相当であり、その範囲内において法的拘束力をもつた行政立法をなしうるが、その枠外の事項については、文部省設置法五条一項一八号、一九号二項、地教行法四八条の各規定により窺えるように、単に指導、助言的な効力を具有するにとどまるものと解すべきである。前掲学習指導要領は、教育課程の国家基準立法であるが、その内容は各教科毎にその全般的目標のほか、各学年別の目標及び内容を詳細に定め、さらに、具体的な教材や教育方法まで指示しており、政府刊行物として一冊の書物の規模をなし、右に述べた教育課程の大綱的基準のみを定めたものと認めることはできないから、右大綱的基準の範囲外の事項は、指導、助言的効力をもつに過ぎないものと解すべきである。

しかして、右のように学習指導要領には法的拘束力を具備しない事項が含まれているのであるから、同要領所定の教育計画に基き、前認定のような具体的調査実施要綱を作成してその全面的実施を義務づけることは正当性を欠くものであり、本件学力調査は、その教育課程の基準設定的性格に着目しても、文部省(文部大臣)の権限の範囲を越えているばかりではなく、いま一つの教育活動的性格(右実施要綱に基き前認定のような方法内容の調査を実施し、個々の生徒の成績を評価するという点)を考慮しても、当該学力調査を実施することは明らかに教育行政機関である文部省が学校教育の方法及び内容(教員の具体的教育活動=教材選定、成績評価権)自体に干渉するものであり、これに重大な影響を与えるものというほかはない。このことは、単に学力調査の実施に伴つて生ずる授業時間の変更だけの問題にとどまらず、さらに、教員において右学力調査による個々の生徒の成績評価が自己の勤務評定などに関係することを意識し、平素の教育活動が自ら監督庁の設定した前掲学習指導要領による知育面に重点を置く傾向を生ぜしめ、これに伴つて教員が本来、自主的に行うべき教材の選定、授業の方法、内容などの諸計画について修正変更を余儀なくさせ、これに基因して右教育活動の独立と自主、中立性(特に政治的、行政的中立性)を損う虞れがあり、その調査目的が的確妥当なものであつてもこれを是認することはできないから、本件学力調査は教育の自主、中立性を阻害するものとして、教育基本法一〇条一項に違反し、行政権をもつて、教育に不当な支配を及ぼした場合にあたるもの

といわねばならない。

従つて、本件学力調査は実体上も違法であるというほかはない。

三、公務執行妨害罪における公務の適法性

公務執行妨害罪において公務員の職務の適法性を要するか否かについては法文上明らかにされていないが、公務の執行は究極的には国民全体の向上発展に寄与するものではあるが、その行使にあたつては国民の基本的人権を侵害することもあるので国家は一面公務員の職務行為の円滑な遂行を保障すると共に、他面国民の基本的人権を尊重し、これに対する侵害に対し厳重に規制しようとしているものであるから、違法な公務員の職務行為を保護してこれによる国民の基本的人権に対する侵害を放置し、その違法な公務員の行為を排除するために行なわれる国民個人の権利防衛行為に対して刑罰をもつて臨むことは許されないと考えられるから公務員の適法な職務行為のみが本条の保護を要求し得るものと解すべきである。

そこで次に当該職務行為が如何なる場合に適法と言えるかという点についてであるが、これは、公務員の職務の遂行という国家的利益とその職務行為の相手方である国民の権利が侵害を受けるという個人的不利益の両面を比較衡量しつつ個人的利益を犠牲にしてもなお国家的利益を保護すべきものと認められるか否かという見地から判断するのが相当であり、略言すれば当該職務行為を刑法上保護する必要があるときにはその職務の執行は適法であるといえるのである。

本件学力調査は前記説示のように憲法の精神に則つて定められた教育基本法の基本理念に反するのみならず手続的にも違法のそしりを免れ得ないものであり従つて重大な瑕疵があるものといわねばならず、さらに同学力調査を実施することによつて惹起した諸種の弊害((例えばテストの結果が各教員の具体的教育活動や勤務評定に影響するとか、平素の授業が学力テストの準備な終始する等盛岡地方裁判所昭和三七年(わ)第二六号地方公務員法違反被告事件第七二回公判の証人駒林邦男の調書写))を併わせ考えると、国民の受ける不利益を犠牲にしてまで本件学力調査の実施を保護しなければならないとする必要性は見出せないものといわねばならない。

もつとも公訴事実第一の一、二の佐々木教育課長ら五名の職務は前認定のように本件学力調査の実施そのものではなく、その調査の実施を円滑にさせるためのいわば準備的行為であつて、しかも市教委側と教組との間で交渉がもたれたのは教組側からの申入れによるものであつて、市教委側としてはこのような申入れを拒否することはむしろ妥当性を欠くものであり、本件の如く教組側と交渉をもつたこと自体は何ら非難するにあたらない当然な行為とも考えられるが、本件は市教委側は勿論のこと教組側も学力調査を実施することを前提にして協議を重ねたり市長らに斡旋を求めたりしていたもので、学力調査の実施と不可分的に密接に関連する行為であつて、右協議や斡旋のみを切り離して本件学力調査とは別個の公務であると解して当該職務の適法性を肯認することはできないものといわねばならない。

ところで本件学力調査が違法であつても当該公務員が適法と信じて行なつた場合にその職務執行が適法になるかという問題がある。適法性の判断基準については当該公務員が適法であると信じたかどうかによつて決定すべきであるとする主観説、一般人の見解において適法な職務行為であると認められるものであれば適法であるとする折衷説、裁判所が法令を解釈して客観的に決定すべきであるとする客観説とがある。思うに主観説は公務員の主観的意思如何によつてその結論を異にし、国家的利益を重視し過ぎる嫌いがあり職務行為の適法性を要件としないのと選ぶところはなく、また折衷説の立場はその基準とする一般人の見解自体があいまいで、その明確な具体的基準を設定することが困難であるから結局客観説の立場が正当であると解する。しかし、その判断は、純客観的な事後的判断ではなく、当該職務行為当時の具体的状況を前提として判断すべきものと解され、ただ上級行政機関の指揮命令に基づく職務で、当該公務員の職務に何ら独自性が認められない場合は、これを全体的に観察し当該公務員の職務行為当時の具体的状況から当該職務の執行が一応適法であるとされる場合でも上級行政機関の職務行為がその当時の具体的状況よりみて客観的に違法と認められる場合は当該公務員の職務も違法であると解するのが相当である。これは当該公務員の職務が上級行政機関の職務内容と同一であるため、上級行政機関の職務執行と同一視し得るからである。

本件学力調査は茨木市教委の教育委員や佐々木課長ら事務局員が大阪府教育委員会からの指揮命令に基づきその事務を執行し、また同教育委員会は文部大臣からの指揮命令によつてその事務を執行したものであり、茨木市教委の池上、藤井教育委員や佐々木課長らは前掲各証拠によれば本件学力調査を適法と信じていたことが窺えるけれども、前記説示のとおり本件学力調査は、実体面にも手続面にも重大な瑕疵があり、その当時の具体的状況を考慮してもこれを適法なものと解することはできないから、上級行政機関たる文部大臣(文部省)及び大阪府教育委員会がその違法な職務行為を指揮命令してきたものである以上これを全体的に考察して違法な職務行為と解するほかない。

以上要するに、佐々木課長らの本件職務行為は適法性を欠き公務の執行として刑法上の保護対象にはならないから、起訴状記載の公訴事実第一の一、二の公務執行妨害罪は、成立しないものといわざるを得ない。

(公訴事実第一の一につき無罪を云渡した理由)

公訴事実第一の一については前記説示のように公務執行妨害罪が成立しないのであるが、被告人の行為が暴行罪に該るかという疑問が存するので以下考察を加えることとする。

〈証拠〉を総合すると、昭和三六年一〇月二五日午前一一時三〇分頃、市教委側の池上、藤井両教育委員、佐々木課長らは教組側の要求事項につき協議するため議員図書室に赴き協議中、被告人が右図書室に突然入つてきて「誰の許可を得て神聖な図書室を使つてけつかるんじや」「出てゆけ勝手に使いやがつて」等と怒号し、藤井教育委員からの「協議中だから邪魔しないで下さい」という制止もきかず、なおも同人に対し「万両のおつさん、お前なんじや」等の面罵したこと、被告人はさらに椅子に腰掛けていた佐々木課長に近づき同人が藤井教育委員の指示で教育委員会事務局用罫紙に万年筆で数行協議事項を記入し、一時右万年筆を机上に置き中止していたところ、いきなり「これなんじや」と申し向けて右罫紙を取り上げ引き裂いて床に棄てたことが認められる。

ところで、刑法二〇八条にいう暴行は不法な有形力の行使を言うが、右有形力の行使は人の身体に対するものであることを要するのであるから、右認定事実の如く単に罫紙を取り上げ引き裂き床に棄てる行為は暴行罪にいう暴行には該らないものといわねばならない。

従つてその余の弁護人の主張を判断するまでもなく被告人の公訴事実第一の一の所為は犯罪の証明がないことに帰するから主文第四項掲記のとおり無罪とした次第である。

(公訴事実第一の二の所為につき暴行罪を認定した理由)

〈証拠〉を総合すると、昭和三六年一〇月二五日午後一時頃から再び市教委側と教組側との間で話合いがもたれ、はじめに教組側から「佐々木課長が出席していないのはどういうわけか」等と発言があり、これに端を発して一時騒然となつたので古谷指導主事が右佐々木を呼びに赴いたが、その間午前中と同様、「教育委員二人では教育委員会を代表する資格がないのではないか」等と教組側から発言があり、これに対する答弁などから喧噪状態となり藤井教育委員が休憩を宣言して市教委側は市長、議長に教組との話合いの斡旋を依頼するため議長室に赴いたこと、その後間もなく被告人、大西、辻、鷲尾ら市会議員が右市教委側に追尾して議長室に入り、これに少し遅れて佐々木、古谷が入室したこと、被告人は市教委側の人に向って「昼にどこへ行っていた、相談をしとつたやろ」「教育長のところは飯屋か、何時から飯屋になつた」等と申し向けて、台付灰皿を手で掴んで上にあげ、二、三回床に叩きつけたところ灰皿の部分が床上に落下したこと、被告人はさらに同所付近にあつた誰も掛けていない椅子の脚部を一回足蹴りにしたうえ、同室内にいた佐々木に近づきいきなり同人の右足脛部付近を一回足蹴りし、同人においてさらに暴行を加えられる気配を察知して同室内の北側に場所を移動したところ、同人の後を追い同所で同人の左足脹脛部付近を一回足蹴りしたことがそれぞれ認められる。もつとも被告人は第三八回公判調書中の供述部分及び当公判廷における供述では右事実中椅子を蹴つたこと及び佐々木の足を蹴つたことはない旨述べているが、椅子を蹴つたことはないとの供述部分は〈証拠〉と対比してにわかに措信できないし、佐々木の足を蹴つたことはないとの供述部分は〈証拠〉と対比しにわかに措信できない。

ところで、前記説示の如く被告人の右行為は公務執行妨害罪に該らないから、その行為がさらに暴行罪或いは脅迫罪に該るかにつき考えるに、右認定事実中、灰皿を手で掴んで上にあげ床に叩きつけた行為及び誰も掛けていない椅子を足蹴りにした行為はいずれも暴行罪に該らない(人の身体に対する有形力の行使とはいえない)ことはいうまでもないところであり、さらに、右行為は被告人が自己の勢威を誇示するためになしたもので、相手方に対する害悪告知を示す挙動とは到底言えないから脅迫罪にも該らないものといわねばならない。しかし、被告人が佐々木の右足脛部、左足脹脛部を各一回足蹴りした行為はいうまでもなく同人に対する不法な有形力の行使と目すべき行為であるから、判示認定の如く右事実についてのみ暴行罪を認定した。

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は起訴状記載公訴事実第二につき(一)、被告人は佐々木教育長職務代理者の足を蹴つて暴行を加えた事実はない。(二)、公務執行妨害罪の対象となるべき公務は存在しない。すなわち文教常任委員協議会は未だ開催されていなかつたのみならず、右協議会の会場である市長室では教組員らが佐々木教育長職務代理者と同人がいわゆるC表提出の職務命令を出したことで話合っていたものであるから未だ公務は存在しない。(三)、またかりに公務が存在していたとしても被告人は公務執行あるいは将に公務が行なわれようとしていた事実について認識がなかつた旨主張するので順次考察する。

〈証拠〉を総合すると、本件学力調査終了後の昭和三六年一〇月三〇日午後一時頃茨木市教育委員会において、本田、池上、藤井、谷本各教育委員が集合し、本田委員長から田村市長が小木曾教育長を辞任させたい旨の意向であることを伝え、これに対し他の教育委員から、市長が外部的圧力に屈して教育委員会の人事にまで介入してくるのは不当であつて、これでは教育行政の中立が保てないということからこの際全員辞職しようということが話題となり、教育委員全員がこれに賛同して辞職することとし、佐々木課長を教育長職務代理者に指定したこと、他方教組側は同月二八日大沢執行委員長から市教委側に対し、教組は学力調査の採点、集計を拒否する旨通告してきたので、佐々木課長は神浦、古谷両指導主事を通じ採点、集計を実施するように働きかけて欲しい旨教組側に依頼したが交渉は思うように進まなかつたこと、そこで学力調査の採点、集計について市教委側、教組側間の交渉の行き詰りを打開するため同年一一月九日午後一時から茨木市教育委員会内委員会室において、市教委側と教組側との間で話合いをもつことになり、市教委側は佐々木教育長職務代理者と古谷指導主事が教組側は大沢執行委員長ら三役がそれぞれ出席し、席上市教委側は教組側にいわゆるC票(教科別得点と個人的教科に関する生徒個票)の提出を求めたところ教組側は翌一〇日午後五時に回答する旨返事したので右時刻に至るまで市教委側において右の回答を待つたが、右時刻に至るも、その回答はなく、却つて教組側は佐々木教育長職務代理者の資格審査をしたいから翌一一日市長及び議長にその資格の有無を尋ね、その確認を受けたうえでなければいわゆるC票提出の話合いに応じられないとの意向を表明したので、話合いは決裂するに至つたこと、佐々木教育長職務代理者は結局職務命令を発していわゆるC票の提出を求めるほかないと考えるに至り、同月一〇日午後六時三〇分頃、茨木市内五中学校長宛の同月一三日までC票を提出されたい旨の茨木市教育委員会教育長職務代理者佐々木栄三郎名義の書面(同号の七)を作成し、同時刻頃右各中学校長に手交わしたこと、同月一一日午前一〇時から茨木市役所市長室で文教常任委員協議会が開催されることになつていて、その協議事項は(一)、学校建築予算の件(二)、教育委員総辞職に伴う善後策の件と定められ、佐々木教育長職務代理者もその前日市長から右協議会に出席するよう要請されていたものであること、佐々木教育長職務代理者は、同日午前九時頃茨木市役所内教育委員会事務局に出勤していたが、同日午前九時二〇分頃議長室から呼出しがあり、同室に赴いたところ、同室には既に教組側及び地区労の代表が約二〇名いて、同人らから「どうして職務命令を出した」「何時から教育委員会の代表者になつたか」等と詰問を受けこれに応答しているころ被告人が右議長室へ入つてきて「教育委員会はどうなつているんだ」などと怒号したが、そのうち同日午前一〇時二〇分頃市教委事務局庶務係長奥田登が同室にきて佐々木教育長職務代理者に「これから文教常任委員協議会が始るから出席して下さい」と呼び出したので教組の大沢委員長にその旨了解を求めその承諾をうけて会場である市長室へ赴いたところ、右議長室にいた被告人や教組役員らも同様佐々木教育長職務代理者に従つて市長室に大挙してなだれ込んだこと、当時、市長室には文教常任委員七名が既に参集していたが、被告人や教組役員らが大挙して同室内へ入り込だため文教常任委員中革新系議員を残して他の文教常任委員は室外へ逃れたこと、同室においても教組役員らは佐々木教育長職務代理者に対し「C票の提出につき一回しか話し合わないで職務命令を出すのはけしからん」「職務命令は無効である。取消せ」等と怒号し、さらに被告人は佐々木教育長職務代理者に対し「お前は辞めた教委育員のやつたことを引き継ぐのか、引き継がんのか返事しろ」等と申し向け、これに対して返事をしないとみるや、興奮立腹してやにわに坐つている同人の左足脛部を一回足蹴りしたこと、これに対し、佐々木教育長職務代理者は立ち上り市長に対し、「市長さん、富永議員は私の足を蹴りました。どないしてくれますか。市長は何でも困つた時には俺に相談に来いと言つたではありませんか」と言つて助けを求めたが、市長はこれに対し何ら応答しなかつたことがそれぞれ認められる。〈反証排斥・略〉

右認定事実によれば、佐々木教育長職務代理者は昭和三六年一一月一一日午前一〇時から開催予定の文教常任委員協議会に出席を求められていたもので、市教委事務局奥田登から呼出を受けて会場である市長室に赴いた時は既に開催予定時刻を経過し、同室に文教常任委員も出席して将に協議会を開催されようとしていたものであつて、被告人が右佐々木教育長職務代理者に暴行を加えたのはその後間もなくである。

そして、田村英の検察官に対する昭和三七年二月九日付、同月一九日付各供述調書及び前掲各証拠によれば、文教常任委員協議会は市長の要請により或いは市長の招集により文教常任委員が参集し、文教関係の一般的或いは特定の諸問題について打合わせを行うもので文教常任委員のほか教育委員長又は教育長の出席を求めるが、事務局の責任者である教育課長も同席するのが慣例となつていたこと、佐々木教育長職務代理者は昭和三六年一〇月三〇日の臨時教育委員会において地教行法二〇条二項に基づき適法に右職務代理者に指定されたことがそれぞれ認められる。

右文教常任委員協議会は地方自治法に定める正規の文教常任委員会ではないが、前段説示のような目的、方法で開催される慣例的な協議会であり、その会議に出席することは公務員の職務行為であり、同人が同年一一月一一日の文教常任委員協議会に教育長職務代理者の資格で出席することは正に適法な職務権限に基づくものということができる。

被告人が佐々木教育長職務代理者に暴行を加えたのは前認定のように文教常任委員協議会の開催中ではないが、将に右協議会が開催されようという時間的に接着した時に当該開催場所(茨木市役所市長室内)においてなされたもので、右の行為は刑法九五条一項の「公務員ノ職務ヲ執行スルニ当リ」加えられた暴行にあたるものといわざるを得ない。

次に弁護人は、被告人は公務の執行あるいは将に公務が行なわれようとしている事実の認識がなかつた旨主張するが、前記認定のように同日午前一〇時頃、佐々木教育長職務代理者は、茨木市役所内議長室において教組側の大沢執行委員長らと共に被告人も加わつて話合いをしているところへ市教委事務局の奥田係長より文教常任委員協議会が始る旨知らされ、大沢執行委員長らにその旨了解を求めたことがあつたのであるから、その際、同席していた被告人において少くとも文教常任委員協議会の開催を知つたものといわねばならないし、その後、被告人らは佐々木教育長職務代理者の後を追つて文教常任委員協議会の開催場所である市長室に赴いたのであるから、同所において同協議会が将に開かれようとしていることを認識していたものと断ぜざるを得ないから弁護人の主張は理由がない。

以上のとおり、弁護人の主張はいずれも理由がないから採用しない。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は刑法二〇八条罰金等臨時措置法三条一項一号に、判示第二の所為は刑法九五条一項にそれぞれ該当するところ、判示第一、第二の罪につき各所定刑中いずれも懲役刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるので同法四七条本文、一〇条により重い判示第二の所為の罪の刑に法定の加重をした刑期範囲内で被告人を懲役三月に処し、同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予することとし、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文を適用し、証人佐々木栄三郎に支給した分の二分の一、及び萩原寛に支給した分は被告人の負担とする。

よつて主文のとおり判決する。

(大西一夫 畠山芳治 大谷種臣)

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